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2012年5月24日 (木)

もっと素直に作るべきかもかも/リンゲルロック以前と以後の私

*この記事の前半は去年ー2011年7月に下書きで書いていた記事をちょっと修正したものです
*去年からこういう感じで言いたいこととか書きたいこととか下書きで残したものがたくさんあるのですがなかなか結論が出なかったりでストックして終わるパターンが多い なるべく直して公開していきたいです

**ここから**
今年もfrenzでます!
ここ半年・一年・・ずーっといろんなコトを考え脚本を描いたりストーリーをつくったりしていました

マイケル・ムーアのような主張するもの、
日常のなかのおかしみを表現したもの、
どんでん返しのサスペンス、
はちゃめちゃななんでもありコメディ、どきりとさせる物、
ロマンチックコメディ、ヒューマンコメディ
タランティーノとかイニャリトゥのような時系列を操作した映像、
伏線、比喩的な表現、含みの演出、・・・

多くの人を楽しませることができるかもしれない、
しかしそれらは自分が作るべきでものではないのかもしれないと
今年はもっと素直に作ることにしました
この感じは二年前に同イベントに出させてもらったときと似ている
もっと素直に・・昔を思い出すのだ
フラッシュでつくるぜうおーてなってたときを

先日いろいろあってアニメを見る機会があったのですが
そこでなんかこう懐かしい感じが蘇ってきて
キャラクターたちが戦いの合間に楽しいイベントが起きるみたいな内容なんだけど(ロボットアニメ?)

自分はそういう部分がすごく好きで、むしろ戦いの部分いらないから(もちろん戦いの合間にやるから日常が活きるって効果もあるだろうけど)
もともとアニメを始めた時はそういうのをつくろうって思ってました
リンゲルロックは徹底的にそういう部分ばっかり集めたアニメをつくろうってところから生まれました

あのアニメは・・・たしかヴィム・ヴェンダースだった気がする、「いい映画とは・・あえていうなら心に残るシーンの数が多い映画かもしれない」ってどっかでいってて
よし自分も次はそういうシーンやシチュエーションをふんだんに入れたものにしようと。
バーのシーン、モーテルのシーン、そして映画館!、(ここはやはり一番力を入れたかったので、券とポップコーンを買う、必要のないシーンからいれました)そしてラストのロケットシーン、、、(背景描いてる時もすごく楽しかった!)

今考えると一つ一つを絵としてとらえて、それが多く書けるようなストーリーを組んだのかもしれない
でも今はストーリーをデザインする、という部分にすごく興味があって、そのためには主人公が魅力的な場所へ行くのも諦めないといけない、書きたい絵を我慢しなきゃ、みたいな所があります
**ここまで**

*ここから追記
いつもどおりふらふらし始めたのでまとめると
→「リンゲルロック」以前の自分は「いいシーンが集まって一つの作品になる」だったのが

→今は(frenz2011にださせてもらったのも含め)「作品とは1つの物語である、良いシーンの数が少なくても物語の構造や展開が美しければ結果的に良い作品になる」という考えですかね・・


ただもちろんこれは答えなどなくて、「自分が作品を通じて何をしたいのか」によるのかもしれない
→前者は、作品中に旅の先々で美しい風景やシーンがあれば、それは観客に旅を疑似体験をさせていることになる。。「雰囲気」「空気感」「体験」を出したいのならばこちらかも知れない(ドキュメンタリック)

→後者はキャラクターが物語を通じて成長するのか、(あるいは転落するのか)
そして物語を通じて監督は何が言いたいのか、がメインになってくる(ドラマティック)
「訴求力」「物語(キャラクターの人生)」「統一性」「カタルシス」ならばこっちでしょうか

ここ1,2年、自分は完全に後者よりだったんですけど、今年の初めに渋谷ツタヤでヴィム・ヴェンダースさんの「ロードムービー三部作」のなかで唯一見ていない「都会のアリス」をやっと見つけて借りたんです
そしたら、あぁ、やっぱりこっちもいいな、と思ったんですね
何がいいって理屈が通用しないんです、「物語全体を通じて何が言いたいのか」、とか、「このアイテムは何かの比喩表現なのか」とか、普通の劇映画に求められる野暮な質問は、この人の作品には全く聞かないんです
リンゲルロックの時はそんな事意識しないで、ただいいなぁと、それだけを思っていたのですが、それで正しかったんだ、そして今なら良さがもっと深く分かる!

「物語」という枠から解放されたキャラクターたちが、ひたすら自由に会話をし、自由に旅をし、自由に感情をあわらにする・・・
これってもう人生じゃないか、と思うのです。
スタートもゴールもありません、決められたセリフもありません、行き先も決まっていません、感動的な場面があるかもわからないし、作らないので自由にキャラクターの意思で笑ったり泣いたり、好きにしてください、ずっと無言でもいいですよ。。。
逆に言えば、キャラクターのその自由な行動や言動、それ自体が物語を帯びてくる、物語を創りだしていくんだね。監督や脚本、カメラといった制約から飛び出した、とてつもなくリアルなストーリーだね。

と、ヴィム・ヴェンダースバンザイみたいな記事になってしまいましたが
やっぱり自分が知る中でここまで自由な映画ってヴィム・ヴェンダースかジム・ジャームッシュかの二人くらいしかいない気がする
そして今、現代の日本ではそういう映画は殆ど見られないし、評価されないと思っています。
映画とは非日常だ、物語だ、ドラマだ!みたいな匂いがすごくするので、、

どっかにも書いたかもしれないけれど、リンゲルロックはヴィム・ヴェンダースさんの映画を見ていなかったら作れなかった、です。それと世界観はイーストウッドの「ダーティファイター」という映画らへんとごちゃまぜにしています
(ダーティファイター1,2は「わかりやすい物語」も含めて、自分のいっちばん好きな!アメリカのあの時代の!映画だ!感がすごいです!モーテル、バー、雲の量が多いアメリカという土地・・好きすぎてたまらない!クラクラするぜ!)
(場所や時間的な制約をとっぱらって、自分はすぐにこの時代のアメリカに瞬間移動できる!いい時代だなぁ!)
そんな感じでしょうか。

あでもそう考えると是枝裕和さんは限りなくドラマ性を排除しているし、イ・チャンドンさんも非日常でない映画を撮リ続けたいみたいなことも言っていたような・・・
と、いっくらでも話が伸びていくので今回はこのへんで。おしまい。

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